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お寺の問題について考えてみました。父の入院などから跡継ぎのことなどを考えたここしばらくでした。

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福祉の専門職であり、お坊さんでもある私ですが、ここしばらくは父の入院でしばらくバタバタしていました。

そこでお寺の話などもしながら跡継ぎについても考えてみました。

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弱小のお寺さんである場合中心者がダウンすると非常に厳しい。

大きなお寺と違い、小さなお寺というのは非常に有事の場合に弱いといえます。

我が家では父親が現状ではほとんどお寺の実務をこなしていました。

よほどのお寺でないと概ねお寺の寺役に関しては一人の僧侶が行っています。

これはうちのお寺が例外というわけではなく多くの小規模寺院はこのような形態が多いように感じます。

一人親方といったイメージです。

お寺自体は法人化(宗教法人)していることが多いのですが、法人とは名ばかりで概ね住職のワンオペというのが実態であると感じます。

私も外で働いています。多くが兼業であるように感じます。

お寺だけでの収益というのはそれほどのものではありません。

もちろん檀家さんにはお世話になっていますが、ある一定程度の規模が無いと生活は厳しいものがあり、私も外に出て働いています。

私どもの地域性もあるのかもしれませんが、比較的定年後。にお寺に入る方が多いように感じます。

住職も高齢化しているのもありますが、定年後に専任となるパターンが多いように感じます。

それまでは外で働くことも多いように感じます。

お坊さんが先生をしていたというのは良くある話であるように感じます。

お寺は福祉的な要素があるし、営利的ではないものという価値観があるが、実際は運営には経営的なセンスも求められる現実。

お坊さんというと、物欲もなく、修行僧で。。などというイメージが少なからずあります。お寺そのもので儲けるというのはあまり感じがよくないという側面や、文化的なものもあり、「兼業」というあり方が増えていたのかもしれません。

中には専属でお寺。というパターンもあるのですが、いくら公共性が高いものでも、維持していくには経営的なセンスも求められるものがあると感じます。

また、私のような兼業というスタイルは一見、安定しているように見えるものの我が家のように父が倒れると、次の世代はかなりダメージを負うように感じます。

私の事例では

そもそも普段からお寺から離れているので有事の時の業務に支障が出る。

兼業は一見普段の収益には安定的でも、お寺が人員欠如してしまうと兼業の側がお寺の業務に回ることになり兼業先にも迷惑がかかる。

そもそも、兼業しているので、お寺の業務に割く時間が少ないので基本的には弱体化傾向になってしまう。

ということがあるように感じます。

そもそも法人であっても組織化できていないという問題。

お寺は住職がお寺の業務を一人で回している現状というのはなかなか厳しいものがあります。結局一人というのは非常に脆弱です。

私も最近妻とも話していますが、しばらくは何とかつないでも最終的には組織化を進める必要があるように感じています。

そうしないと何かあったときに結局檀家さんや、もちろん自分への影響が甚大であると感じます。

結局営利非営利は別としても一人でできることは限界があるということです。

寺離れが進んでいますが、若い世代にこのような文化を受け継いでもらうには我々僧侶の在り方や、寺院を維持する新しい形の改革が必要だと感じます。

少し、経営というものをこの有事に際して考えていく必要に迫られています。

お寺関連の方などがこの記事を読んでいただけたらぜひメッセージをいただけると嬉しいです。

これからのお寺の在り方などについて少し考えてみました。

現代のお寺の環境というのは大きく変化をしています。

お寺というとどうしてもお葬式というイメージが大きいように感じます。確かに高齢化をしていることで理論上亡くなる方は増えていくのですが、現代というのは亡くなってから後について先祖をの事を考える時間というのが少なくなっているのではないかと感じています。

お葬式をして終わりという感じがとても強いと感じます。

なかなか故人を思い出すという事が少ない。またはそのように考える心のゆとりが少なくなった時代であるという事が言えるのかと感じます。

このような事に対して私はまずはお寺に来ていただくことが大切だとは感じているものの実際何を目的に来ていただくのかという事になると深く考えることがあります。

人は何か同機のようなものが無いと動くことができないそのように感じます。

現代はこのように多忙で、心を病んでしまったり、明日への漠然とした不安に支配されていることなどが多いように感じます。

今後のお寺の在り方というのは不安について共に考えたり、またはその悩みを抱える人の解決ができる場所である必要性があるように感じます。

具体的には仏様の教えなど伝えるのと同時に、その教えを派生させながら現代の課題について考えていく必要性があるのではないかと感じています。そしてそのような場所を作る必要があるように感じます。

まだまだ、日常の仏事に関して知らないことも多いのですが、生きる指針のようなものを提供していくことがお寺の本来の姿だと感じます。

お葬式だけで終わってしまうのは何かさみしいものがあるように感じます。

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