支援をしていると結構な割合でデジタル関係の発展によるトラブルなどもあります。今日は少しそのあたりを考えて思ったことを書いてみました。
課金されやすい時代
私が小さい頃はテレビゲームの時代でした。家に帰ればゲーム三昧なところもありましたので現代と似ています。
ゲームというのは楽しいもので時間も忘れて熱中してしまうものです。
今はほとんどゲームはしませんが視力は悪くなったなーと感じる次第です。
昔はゲームと言えばそこそこお金がかかりましたし購入も少し親の気分なども含めてのことでしたから子にはあまり決定権がなかったのかなとも感じています。
しかし最近はゲームの主体がスマホなどの小型のデジタル端末が中心かつ、オンライン上でのゲームというのが主流なようです。
どこでもゲームができるという側面、そしてゲームの中での「課金」システムにソフト会社の収益構造は変化してきているようです。
課金システムで結局はたくさんお金を払う羽目に。。。
ゲームの購入は昔よりもハードルが下がっています。昔は購入に1万円程度かかったこともあったように記憶していますが、今は無料でスタートというケースも少なくないようです。
ゲーム内でアイテムを買うシステムは昔からありましたが、現代のゲームはこれらのアイテムを購入するのに実際のお金が必要になるという問題があります。
また、現実的には「実物のお金」が動いているのですが、ゲーム内でカードその他、キャリア決済などお金を使っていないかのように課金しやすい環境が構築されています。
結果入り口はお金が不要でも、途中で課金されゲームを有利にすすめるためにより多くの課金が必要になります。
節度が大切ではあるものの、節度がわからなくなる現実
お金を使いすぎてはだめだと感じていても、ゲームの性質上課金しないとたのしめなくなってしまいます。
また、ゲーム内外に関わらず、人間は基本的に右肩上がりの生活を無意識に意識している存在です。
このあたりはゲームの会社もよく理解していますから、そのあたりを上手く課金システムとして作り上げているなと感じることがあります。
最終的には利用する人のモラルによるわけですが、楽しいことは止められない人間の悲しい性もあるのかもしれません。
現実的な話
これらによる経済的なダメージは気がついたときにかなり大きくなっているというのが現実です。小さい課金もチリも積もって、新卒社会人の月給程度になることもありますし、そのような現実も見たりしています。
また、社会福祉制度を使われる方自体元々経済的に厳しい現実があったりすることも多く、これらの影響から経済的な困窮に至る事例は今後も増えてくるかもしれません。
加えてゲーム中心の社会は、現実社会への逃げ道になってしまっており、そこから出られなくなってしまうケースもあります。
今後デジタル化がより加速する中でこのような便利で楽しいシステムに如何に付き合っていくかという視点は大切だなと感じる次第です。