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福祉の専門職として、お寺の住職としてこれからのお寺の在り方など考えてみた。

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今日は休日で趣味の古本を求めて名古屋の方まで行ったりしていました。

名古屋はインフルエンザも流行っているので、店舗毎にうがいと、手洗い。。。

自宅でじっとしていたほうがよかったのだろうか。。。

先日先輩2人と話をしていて一方の先輩が体調不良であったとき独り身は切ないとの話をしていた。

こう私も独り身の期間がそこそこ長く、周囲の友人はすでに概ね家庭を持って落ち着いていたことからその辺りの不安はない訳ではなかった。

というかむしろ現実的な悩みでもあった。現在は妻がいるので家庭を維持する大変さも感じるが縁というものに感謝している。

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唐突ではあるがこのような悩みを感じている人は少なくないのではないだろうか。。

全体的に晩婚、非婚が進む中でデータだけ見ると独り身というのも特に例外的なものではないし、ライフスタイルが多様化している現代にあってはそれはそれで問題ないという思いもある。

かたや、そこについて悩んでいる人がいる場合は問題であるように感じる。

私は福祉の専門であり、高齢期の畑の期間が比較的長かった。

これはあくまで全体の一例であるため全てに当てはまる訳でないにせよ全体的な傾向としては老後に家族(配偶者、子ども)が身近にいない場合は様々な支障が出るケースが多いように感じる。

これは身体、精神、加えて経済的に当てはまる傾向が強い。少なくても家族がいないことでいる場合にとれる選択肢が行使できないという側面があるように感じる。

お寺も正直建物だけに成り下がっている事例も多いように感じる

このような傾向を感じた中で、少し脱線したがお寺の問題もある。

最近はお寺に来る人の数がやはり減っている。

この場合のお寺は、皆さんの思われる清水寺などのことではなく地方にある小さなお寺である。

こうお寺の存在が葬儀だけになってきてしまっている一つの表れのように感じる

お寺で人との出会いをプロデュースすることはできるのではないのか。出会いや交流の場所であってもいいと感じる

こうお寺がお葬式ありきというのもなにか悲しい側面を感じる。

上に示したように独り身の中には本当は家庭を築いてと感じる方もきっといるように感じる。

少し語弊があるが、お寺で婚活をしたり、高齢者のよりどころにしたりするのもいいのではないかと感じている。

あまり斬新なことをするのははばかられるところもあるような気がしなくはないが現実的な救いというものを大切にしたいと思う。

少なくても少子高齢化で確実に人とも交わりが減少傾向にあるなら何かをしないといけない気がする。

お寺のオンラインサロンなどもいいかもしれない。

ネットも使える時代。地域から飛び出すことも必要だと感じた。

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