我々は日々働いてお金を稼いだり、お給料をもらったりしています。
しかし何らかの事情で働けない期間が続くと新たに働こうとしても気持ちがそれについていかないことがあるという話です。
お金が厳しいことがわかっていても何か現実に背をそむけてしまうことがある。
精神を病んでしまった人にとっては復職というのはとても勇気がいることであるように感じます。
人は日々人間関係の中にあり、それは職場でも例外ではありません。
私自身も現在はお寺とは別に外で働いていますが、日々人間関係の中にいきています。
精神などの障害を負われた方などは意図せず休職などでしばらく人間関係から遠ざかってしまうことがあります。
最低限、家族などの人間関係が近くにある方などでも、どうしても労働の場としての社会との接点が遠くなると次に接点を持つ場面でとても負担感が多くなると感じます。
仕事はうまくいくだろうか?職場の人間関係は上手にできるだろうか?上司はいい人だろうか?長く働けるだろうか?と様々な不安にさいなまれます。
仕事のスタート時点ではこれでは不安感の方が圧倒的に大きく、仮にその時点で経済的に厳しくともどうしてもその現実に目をそむけたくなってしまうこともあるように感じます。
もう少し後にしよう。が年単位の引きこもりになることも
人はどうしても自分に都合が悪いことに関してはあとへ回してしまう傾向があるように感じます。これは心身の状態にかかわらず誰しも大なり小なりあるように感じます。
しかしながらこれが繰り返しになると、そういった状態が普通になってしまうわけです。
これらは精神的に障害などを有していると更に顕著になるように感じます。実際問題お話などを聞くとしっかり自分の気持ちをお話しできる方も多くあります。
しかし、何かにつけて自己決定を先延ばしにしてしまうという事は多々あります。
労働などに関しては自身の決定が必要であり、支援者は自己決定を促すことしかできない。
どれだけサービスなどの調整をしても、最終的に一番大切なのは、自己決定による一歩を踏み出すこと事にあると感じます。
この部分はやはり本人の決断にかかってきます。
支援している中でも、病気やその他の理由をベースにかたくなに身動きを取らない人、良くわからないけれどもとりあえず試してみようという事でスタートする人ではその後に大きな差異が現れてきます。
自分がどうしたいかという事を考えて生きていくことはとても大切な事です。
また、いかなる状態でも自己決定をするという事は次につながっていきます。
今現在何かに行き詰まっている方は、時には結果をあまり気にせず、まず自分ができることからスタートすることも必要だと思います。
スタートできればあとは、微修正しながら進んでいけばいいわけで、ここに自己決定の重要さが感じられます。