今日は訪問などから感じたことを書いてみようかと思います。
それはゲーム課金ということについてです。
私の小さい頃にもゲームがありました。
世代的にはファミコンとかスーパーファミコンとかそんな時代です。
懐かしいと感じる方もあれば、もしかすると何それ?という人もあるかもしれません。なんせ約30年前。私もそれなりに楽しんだので良い思い出ですが。。。
現在は、少し違うな。と感じることもあるゲームについてです。
課金というシステム
私たちが小さい時ゲームといえば「買い切り」が基本でした。
それこそ時代的にドラクエなど出ようものなら、予約しても入手するのが至難な時代であったこともありますし、学校を休んで買いに行ってしまう人もいたことを思うと今も昔も引き付ける何かがそこにはあります。
昔は、ソフトを何本も持っている子はいましたが、それなりに購入には費用が掛かったので、購入時には心理的な障壁があったように感じます。
親に止められたという人も少なくはないと感じます。
昔はハードとソフトが分かれていましたが、現在はスマホを中心にダウンロードなどソフトとハードが一体になっていることに加え、オンラインの中に浸透しています。
それもあってか昔のように購入に心理的な障壁がなくなっています。
お金を払っているという感覚がなくなる
ゲームに限らずですが、最近はオンラインでの決済や、携帯電話会社、クレジットカードなど現金を使う機会が減っているような気がします。
訪問時にあった事例でもやはり携帯の決済で支払いが完了しており、支払いがかなり大きな額になり想定する水準を超えてしまう水準になるという話を聞きました。
またこれは困ったことに本人がどの程度支払ったか見当がつかないという点に問題があります。見えないお金のやり取りというのはどの程度使っているのかという感覚を確実に狂わせます。
最近はオンライン決済で還元なん十パーセントと大盤振る舞いなものも多いですから、そのような誘惑はいたるところにあります。
ここに障碍特性などでのめりこんでしまいやすかったり、依存心が高かったり、管理力に問題があったりと経済的なダメージも大きくなってしまいます。
共同感や、よりよいものを求めたいという思いが課金を加速する。
オンラインゲームの課金に関しては同じゲームをする人との共同感や、相手より良いものをと人間の向上心が課金を加速する傾向があるようです。
コミュニケーションが苦手な人でもゲームの中では素の自分が出せるということで開放的になってしまうことも多いようです。
また、人間はより良いものを求める存在であるがゆえにゲームではこのようなパターンは課金額の増加という形でより良いものを求めるようになるようです。
問題意識があってもやめられなくなる
この点が問題で、ゲームの課金も依存性があるといえます。先輩の精神保健福祉士さんもやはりそのような事例があるということでこのような問題はこれからもクローズアップされてくると思います。やめられない、止まらない。そんな感じだと思います。
他人事ではないですし難しい問題です。
お金の管理が苦手な人は現金主義がいいかもしれません。
便利さというのは上記のような事例も考えると全てがプラスとは言いにくいと感じますし、その仕組みで損する人得する人という2者ができてしまうこともあるかもしれません。